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シェフ達のヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)

日本料理 小伴天 総料理長  長田勇久氏 



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http://www.katch.ne.jp/~kobanten/                                    
        
愛知県・碧南の老舗日本料理店「小伴天」の長男として生まれた長田シェフは、家業を継ぐのは自然の流れであった。
大学時代、趣味のツーリングで寝袋一つで全国を回った。

行く先々で出会った人たちとなけなしのお金をはたいて、その土地の食材を食べ、
酒を酌み交わした。
人の集まりの中には必ず飲食がある。
楽しい場を作る飲食業という仕事の素晴らしさに出会った瞬間である。

修業の場は、東京・築地「田村」。
知る人ぞ知る高級料亭である。

体一つで来いと言われ、行ってみると大部屋に二段ベッドが6台、
その一つが自分のプライベートスペースであった。

初日から働き始めて、終わったのは深夜2時。
「明日は何時からでしょうか?」と聞くと、「朝の5時」と言われた。
3時間も眠れない。
実働20時間勤務の毎日が始まる。

当時はバブルの最盛期で、土日は一日400名の客が殺到する。
平日でも200名はくだらない。
中には一人10万円もする料理を平気で食べていく客もいた。

過酷な労働の日々ではあったが、少ない休みの日には
近くの築地市場に出入りし、市場の人たちと仲良くなり、料理を作っては楽しんだ。
6年務めた後、実家に戻った。

「小伴天」に戻ると、
先ずは、田村で覚えた料理を、食材は築地から取り寄せ、半額くらいの値段で
出し始めた。
東京の素晴らしいい献立がお値打ちに食べられれば、地元でも喜ばれると考えたのである。

ある時、常連客から「東京から大切なお客様が来るので、値段はいくらでもいいから
いい料理を出してくれ」と言われた。
築地から最高の食材を取り寄せ、田村で覚えた得意の献立を出した。
一品づつ説明をした。

そうすると、その常連のお客から
「東京から来た客に東京の料理を食べさせる意味はあるのか?」
と聞かれた。
長田シェフの中で何かが変わった瞬間であった。

それからの長田シェフは
地元の農家・食材の生産者・蔵元・漁港・・・・
ありとあらゆる食材と出会っていった。

今までは、先ず献立を考えてから、食材を手配していたのが
素材を見てから献立を考えるようになった。

一から自分の料理を組み立てなおした。
なぜこの時期にこの食材が取れるのか?
なぜこの調味料はこの地で作られてきたのか?
一つ一つ丁寧に調べ、料理に反映させていった。

また、父親が「真空調理法」の専門家であり、長田シェフと二人で
柴田書店より書籍も出版している。
この技法を取り入れ、彼の料理に科学が加わった。

食材への火の通し方一つで美味しさは変わる。
伝統的な技術と地元の食材と先進的な科学技術が合わさり
新しい和食が作られていく。
そんな期待を感じる長田シェフである。

また、対外活動にも精力的で、絶えず新しいものにチャレンジしている。
大学での市民講座、テレビのレギュラー番組、愛知の伝統野菜の普及活動、
食のNPO活動等、多彩である。

フレンチの三國シェフの料理がフランス料理ではなく、三國料理といわれるように
長田料理の新展開から目が離せない。

取材 名倉裕一朗 2012.01.13.

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