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シェフ達のヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)

日本料理 重きよ 料理長  高橋宏和氏 



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幼い頃から、家業を継ぐことが決まっていた。
自分の中でも決まっていた。
野球が好きで野球部を頑張っていた。
大学に入ってからは家業を手伝うようになる。

修業は、東近江・八日市にある招福楼本店。
http://www.shofukuro.jp/home.html
一年目は厳しかった。
朝から晩まで雑用ばかりであった。
鰻の山椒煮が有名で、日々箱詰めに明け暮れた。
調理と言えば、まかない、漬物、ご飯炊きのみ。
絶えず「辞めたい」と思っていた。

ある日、一年先輩に「辞めたい」と相談すると
「辞めたら」とあっさり言われてしまった。
負けたくないという思いが込み上げてきて、続けようと思った。

2年目は神戸のポートピアホテルの支店に転勤。
会席料理だけでも1日200名、それに結婚披露宴などの宴会料理が加わる。
とてつもなく忙しい毎日であった。
先輩3人が一度に辞めてからは八寸場の一角にあるフルーツ場の担当になった。
多いと一人で4種類の料理を作る。(すべての人数分)
酢の物、すすめ魚、カットフルーツ、和菓子・・・

一年半で煮方へ移る。
持病のヘルニアが再発して、病院へ通いながらの勤務であった。

4年目に入ると当時の料理長(今でも付き合いは続いている)が店を辞めることになり
次にどの部署に行きたいかと聞かれ「八寸場」を希望する。
「重きよ」には「八寸場」がなく、学びたいという思いがあった。
(献立名である「八寸」とは、酒の肴を盛り付ける器が8寸(24cm)四方の白木の器を使った
事に始まり、「八寸に盛り付けた酒の肴」を「八寸」と呼ぶようになった。 教えて!gooより)

盛り付けの素晴らしさを学んだ。
飾りの葉っぱや菖蒲を取りに六甲山にもよく出かけた。

そして5年目、ポートアイランドの寮で、あの阪神・淡路大震災に遭遇。
世界が一変していた。
液状化で地面は水浸しである。
とにかく島から脱出しようと仲間の車に乗り込む。
警官からは橋がいつ崩れるか解らないが、それを了解の上で渡ってくれと言われる。

命からがらなんとか名古屋に辿りつき、
そのまま招福楼を退職して家業に入る。
戻って直に父親の下で働いていた料理長が退職して、
いきなりすべての献立をたてることになる。
もちろん、その都度、父親のチェックが入る。

そんな中でも自分なりに工夫してやってきた。
今から思えばアレンジしすぎた気もする。
近くに中華食材の専門店があったこともあり、中華食材を好んで使った。
ピータン、ファッツァイ(髪菜)、フカヒレ、腐乳、豆豉・・・・
和食の味付けをすると結構馴染むのである。
フレンチのソースのようなものも良く作った。
鯛の塩焼きにホウレン草と木の芽のソースを・・・

最近はシンプルな料理に戻ってきている。
魅せる料理と食べさせる料理とは違う。
食材は市場に出向き、見て選ぶ。
食材にこだわる店が減ってきて、手に入りにくい食材が増えている。

一昨年、改築をして大広間等はなくし、テーブル席や個室を増やした。
ランチもはじめ、お手軽な価格帯で構成されている。
3675円のランチコースが好評である。
夜は6000円から15000円のコース料理。

近い将来、割烹的アラカルト料理も手掛けたい。
デパ地下にあった3か所の売り場を1か所に絞り、
本店の運営に力を尽くす。
http://www.ichi-mai.jp/shigekiyo/

老舗の二代目にはいろいろと制約がある。
一代目はやりたいことをやる。
二代目は一代目の味を受け継ぎながら+αを目指す。

一代目は東京・赤坂のたい家で修業し、
味付けの基本は白醤油(名古屋流)
二代目は招福楼、味付けは薄口醤油と塩(大阪流)である。
根本的に味の組み立て方が違うのである。

多くの葛藤があったが
今では二代目に付いてる常連客も多い。
これからは日本料理の原点に沿って
シンプルで美しく、美味い料理を目指す。

高橋料理長は最近結婚され、お子様も授かりました。
奥様は病院長秘書の経験もあり、接客には慣れている。
取材した日も風邪で休んだスタッフの代わりに身籠の体で接客されていた。
明るく感じのいい対応であった。
やはり身内というものは接客にも違いの出るものだとつくづく感じた。

出産後、しばらくは育児に忙しいだろうが
いつか女将として店に出られる日がくるのが楽しみである。

取材  名倉裕一朗 2012.01.25.

                                   

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