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「シェフ達のヒーローズ・ジャーニー

たべごとや kasiko(かしこ)  店主  柄沢 賢一 氏 



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新潟県魚沼市出身。
高校卒業後、東京へ。
はじめはアパレルの世界に飛び込む。
縁あって名古屋のアパレル会社に就職するが
条件が合わず退職することに。

ここから飲食の世界に入ることに。
はじめはバー
そして料理に興味を持ち始める。
今池の近くの居酒屋「ねじ家」で3年働く。
料理が楽しくなってくる。
この店では客を楽しませる事を徹底して教えられる。
客が注文する前に大将は食べさせたい料理を先に作り始めてしまう。
スタッフは何が何でもその料理の注文を取ってこなくてはならない(笑)
接客を楽しむ心配りであろうか?

この頃から出汁に興味を持ち始め
きちんと和食を学びたくなってきた。
次も大将の人柄に惹かれ、東新町の「料理 四季彩」に移る。
2年働き腕を磨く。

そして更に近くの居酒屋「ままや」に入る。
この店は女性料理人 長谷川行那さんの店、偶然私も大好きでよく通った店でもあった。
しっかりとした名古屋人好みの味付けであり、盛りつけもセンスが良い。
現在は移転してガーデンパレスホテルの近くで「椿ん屋」という屋号になっている。
柄沢氏の料理を初めて食べた時、私の好みの味だと感じたのは
「ままや」の味に通じるものかもしれない。

さらに移ったのは金山の「空」。
やはり、ボスと呼ばれるオーナーの人柄に惹かれてであった。
ボスはいつも決して怒ることがなく、ついつい愚痴を聞いてもらうことになる。
素晴らしいスタッフが集まる由縁である。
内装、器、料理と全てにボスのセンスがうかがい知れる店であった。
ここで2年働き、念願の独立となる。

たべごとや kasiko(かしこ)は瑞穂区佐渡町、瑞穂区役所の一本裏手の
閑静な住宅街のマンションの一階にある。
決していい立地ではない。
柄沢氏はなぜこの場所を選んだのか?

彼曰く 「街に疲れた」
     「一本路地裏が良かった」
     「喫茶店の居抜き物件(落ち着く気がした)を探した」
     「あとは勢いで(笑)」
とのことである。

開店して6年が経った。
独立してみると、前のようにあこがれの人や目標にしてきた人は
目の前にいなくなり、自分ひとりであることに改めて気づかされた。
いつもあこがれの人を追いかけてきた。

初めの2年は雑誌の取材もコンスタントに入り、
客もいい方達に恵まれた。
年配の客からはお金を払ってもいいような学びになる話も沢山聞かせていただいた。

しかし、その頃から自分の考えが偏ってきた。
ペットの犬にはまり、ペット連れで営業を始めた。
飲食業において動物はある意味タブーである。
当然、多くの客を失った。

誰かに店を任せられないかと知人と一緒に店をやってみたが
うまくいかなかった。

間違いに気づくのに結局2年かかった。
この2年、彼は自分の店のことを見てはいなかった。
夫婦で言えば妻(店)に無関心になり、愛せなくなっていた。
これでは妻(店)に嫌われて当然である。

そしてようやくこの間違いに気がついて
もう一度、真剣に店を愛してみると決めた。

彼のコンセプトは
「見て美しい、食べて美味しく、体に優しいあたたかい場所」 と感じてもらえるように、
物事すべてのセンスをいつも、いつまでも磨き続けていく・・・
当たり前のことしかできませんが・・・。

彼の店(kasiko)への愛情がここからほとばしる。

彼は言う
「当たり前のことを当たり前にやる」
「人に迷惑をかけるな。自分のことは自分で」

この言葉は昔から黄ばんだ紙にかかれ、実家の壁に今でも貼られている。
彼が幼い頃から毎日見てきた親の言葉である。

紆余曲折を経ながらたどり着いた現在の「kasiko」。
皆さんの5感で味わってほしい。
店を、料理を、そして柄沢賢一という店主を・・・・

                                   取材  名倉裕一朗 2012.11.20

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