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「シェフ達のヒーローズ・ジャーニー

フレンチレストラン トリスケル 

オーナーシェフ  戸谷 直樹 氏 



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高校卒業後、一旦は大学進学を目指すが断念。
ヘリコプターの操縦免許を取得しようとアルバイトに励む。
いろんな職業を経験する。


しかしさらに方向転換、22歳で名古屋のメゾン ブランシュに入店する。
当時より料理が好きだった。
今から思うとこの頃から自分の店を持つことを決めていた。
半年はサービスを経験して、その後厨房へ。
3年働く。


この頃、東京・原宿(当時)のオー・バカナルの三谷シェフの存在を
テレビで知る。(現在はレスプリ・ミタニのオーナーシェフ)
豚を丸ごと焼くような豪快な料理に憧れ、通いつめた
このとき自分の目指すものはフランスにあると確信する。


名古屋・東急ホテルの福田シェフ(現在 渋谷東急セルリアンタワー総料理長)
の活躍を雑誌で知り名古屋・東急ホテルに求人があり転職。
東急ホテルでは、宴会に半年、ロアールで3年働く
特にロワールでの堂園シェフとの出会いは自分の料理人生において大きかった。


そして、東京ガスのフランス料理文化センター(FFCC)から研修生として
フランスへ料理研修に行く。パリの歴史あるフェランディー料理学校で1ヶ月授業を受け
その後レストラン研修、南仏のル サンポール (一ツ星)。
次に フランスのガストロミーに歴史を残した
あのアラン シャペル (2ツ星)へ(残念ながら昨年閉店)
次はシャモニーにある  アルベール プルミエ(2ツ星)
そしてモンペリエのジャルダン デ サンス (当時三ツ星)


しかし、もっとも印象に残ったのは アラン シャペル。
料理の捉え方の違いに驚嘆した。
自由な発想で、美味しいものを作るための手段としてのフランス料理。
この考えは今でも自分の中で息づいている。


一旦、帰国し、名古屋東急ホテルで半年働き、再度フランスへ。
南西の町アジャンにあるマリオッタ(一ツ星)で3ヶ月。
ピレネーの麓の町タルブにあるランブロワジー(一ツ星)で3ヶ月
スイススキーリゾート地ブルビエの町フランス人がシェフの
ルレシャトーで半年。
コルシカのオーベルジュ ソール エ モンティ で半年働く。


帰国後、東京で腕試ししたかった。
ロワールの堂園シェフの紹介で恵比寿ジョエル・ロブションで働く。
相手にとって不足なし、当時最高峰の一つだった。
厳しかったがタメにもなった。
上からも下からも叱られた。
精神的にも肉体的にもきつかったが、本当に勉強になった。
1年間働いた。


名古屋に戻り、高島屋の上のセパージュでスーシェフとして2年間働く。
そろそろ自分の店を持とうと物件を探しながら、
資金稼ぎやシェフのマネージメントを学びたかった
物件さがしはてこずりましたが、そしてようやく見つけた物件が工事が延期になり
イタリアンレストラン アンティキで半年お世話になり、その後ようやくオープンにこぎつける。


38歳、名古屋市東区泉に「トリスケル」オープン。
ビストロとガストロノミーが共存した店。
アラカルトと4000円のコースはビストロ。
5700円と7500円のコースはガストロノミー。
どちらも大好きで、選ぶことができす、
共存することになってししまった。


カウンター席を入れて16席。
厨房は今は戸谷シェフ一人。
ホールでは、ランチは奥様が、ディナーはアルバイトで。
人の問題はこれからの課題の一つ。


もう一つの課題はビストロとガストロノミーの兼ね合い。
将来的には二店に分けるのか?
これにも人材の問題がつきまとう。


しかし原価を惜しまず、いい素材を、最高の技術で。
戸谷シェフの料理の評判は抜群である。


また、店名となっている「トリスケル」は
ケルト文化にある文様で(店のロゴになっている)
三つの「水」と「大地」と「火」を表している。
「3」という数字は神聖な意味があり、
石器時代、文字のない時代からのケルト文化は
ヨーロッパ文化の原点といってもいい。
アランシャペルの料理に対する自由さに触発され
フレンチというククリで考えるのではなく
広く、自由な、ヨーロッパ料理を目指すのが
戸谷シェフの料理への思いである。
画像の説明


「あと最後にポールポキューズ氏の言葉に”料理人よ故郷に帰れ”
という言葉があります、自分はこの生まれ育った名古屋で
仕事ができることが最高の誇りであり喜びであります。
フランス料理は世界中どこでも根をはることができる素晴らしい
文化だと思っています、フランス料理を通して学んだことを日本人である自分のフィルターを通して地元の生産者さんや業者さんと一緒に何か面白いことを表現して行けたらいいと思います。」と戸谷シェフは言う。


これから先、このお店はどの様に表現し、そしてどの様に評価されるか
楽しみである。

                                 取材  名倉裕一朗   2013.05.27.

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