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シェフ達のヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)

いろり料理 紅 kou  遥 haru  炭兆 sumichou  

オーナーシェフ  伊藤浩市氏 



画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明

祖母は名古屋・若宮八幡宮の隣、料亭「八幡」の娘であった。
料理がとてもうまく、小さい頃から本物の素材を食べさせてもらった。
今でも覚えているのは、鰻のたれ、蕎麦がき、ぎんなん、雲丹など・・・
その味が舌の記憶に残っている。

この時の味覚の体験が今の自分の味の基準となって、
小学生になると茶碗蒸しをつくったり、天麩羅を揚げたりと調理することが
日常の生活の中で当たり前になっていた。

父親は縫製工場を経営していた。
スクールユニフォーム(学生服)を製造し、百貨店に卸していた。
自分もこの道を進もうと昼は大学に通いながら、夜間で名古屋モード学園の洋服デザインを学んだ。

卒業後、婦人服メーカーを立ち上げた。
当時、コムサデモードやBIGIが飲食をファッションの一つと捉え、
レストラン経営も合わせて行っていた時代である。
自分でも飲食業に興味を持っていた。

しかし、オープンさせたのはカフェとかフレンチとかイタリアンではなくて
いろり料理炭焼きの店であった。
いろり料理 「紅」を始めたのは今から17年前、千種区池下(向陽)という場所である。
今でこそ、人気の飲食店が集まるスポットではあるが
当時は住宅地の一角で、決して好立地ではなかった。

さらに小さな(ほんとに小さな)看板?表札?(ただ紅とだけ書いてある)が
出ているだけで何屋さんかさっぱり分からない門構えである。                                 
       
1年半の間、店は暇な毎日であった。
1年間は想定内であったが、1年半も続くとさすがに焦ってきた。

そんなオープン当初の日々、少ないお客の中に意外とテレビ局関係の方が多く。
そんな中のお一人のお客様からテレビ取材の申し出があった。
30分番組の半分くらいが「紅」の取材映像であった。
これを機に客足が増えてくるのである。

「なぜ炭焼きなのですか?」と聞かれると
「バーベキューが好きだったからです(笑)」と答えるようにしている。
飲食店にはロケーションが大切だと思っている。
景色や場所や室内の雰囲気・・・・
自分にとっては「いろり」、「炭焼き」だったと伊藤シェフは言う。
いろりを囲んで皆で焼く楽しみを提供したかった。

叔父が炭問屋を営んでおり
炭に関するすべてを教えてもらった。
原木備長炭にこだわった。

炭の世界は奥が深い。
火加減が特に難しい。
ガスコンロとは違ってノブをひねる訳にはいかない。
炭の組み方、炭の太さ・・・・
焼く素材によって変えなくてはならい。
原木備長炭(備長とは開発者の名)は太さがまちまちである。
太いものばかりで組むと火が弱い。
細いものばかりで組むと火が強い。
炭の表面積の違い。
炭の香りが食材の食材の旨味を引き出してくれる。

コースメニューの事前予約をお願いしているのも
前もって顧客ごとに炭を組み上げたいからである。
肉は強火で一気に、魚は遠火でじっくりと・・・・
思考錯誤の中、ようやく今のスタイルが確立してきた。
「17年かかってようやく炭が解ってきた」と言う。

伊藤シェフは多彩である。
来店したことある方はお解りだろうが、
出される食器が独特である。
すべて伊藤シェフの創作によるものである。

今では店の一角で不定期ではあるが、
「炭焼きと陶芸を楽しむ会」も開催している。
http://kou1995.com/saito/tao_yunno_hui_tan_zhao.html
将来、陶芸と炭焼きをいつも楽しめる店をつくるのも
夢の一つである。

陶芸もオープン当初、女性陶芸作家との出会いがあり、
さらに陶芸用の窯メーカーの方との出会いにより
ここまで広がってきた。

いろりのゴトクや鉄板をレーザーできり抜いたオブジェ(店に飾られている)は
鋼材業を営む友人の協力である。

また絵や版画の才もあり、ショップカードの「お地蔵さんの絵」は
伊藤シェフの作である。
http://kou1995.com/saito/o_de_zangsanno_ban_hua.html
ブッダ(仏像)の収集もプロ級で
海外渡航の際に収集したブッタはネット上で博物館を設置する程である。
http://kou1995.com/saito/budda_bo_wu_guan.html


伊藤シェフの「外食とはそのロケーションが大切。」と言う冒頭の言葉を
思い出してほしい。
伊藤シェフの独自の世界が顧客へのおもてなしの世界となっている。
いろり端、炭焼き、陶芸、お地蔵さん、ブッダ・・・・・
伊藤シェフは
「シェフ」と言うよりは「プロデューサー」の方がシックリとくる。

すべてがその時その時の人との出会いによって発展してきた
伊藤シェフの事業であった。
これからどのように変化していくのであろうか!

取材  名倉裕一朗 2012.02.07.

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