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「シェフ達のヒーローズ・ジャーニー

Dodici Maggio  オーナーシェフ 今村光志氏 



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シェフとしてのスタートは以外にも遅く24歳。
田舎の実家に土地があったので当時流行のリゾートっぽいコテージ風のカフェをやろうかと。
(カフェというジャンルはない時代、いわゆるこじゃれた喫茶店とてもいうのだろうか?)

しかし、調理の経験は全く無く、先ずは修業できる店を探した。
星が丘にあったシェフ一人のキッチン・グゥボルドゥ(現在は閉店)に入店する。
約1年務める。

次にたまたま客として立ち寄ったガルゴッタ・ガウディオ(既に閉店)に衝撃を受けた。
懐かしい高級スーパー「ハロードゥ・インターナショナル」の地下にあった名店である。
その料理に感動し、早速入店をお願いする。
皿洗いからのスタートであった。
グーボルトとは違い、スタッフも多く、一番下の見習いからである。
人よりも早く店に出て、テーブルセティングをして、
まかないのご飯を炊き、朝の8時~深夜2時ごろまで働いた。
早く終わる日は近所の中華料理店でも修業させてもらった。
努力が認められ、先輩からも徐々に仕事が廻ってくるようになった。
3年在籍して、最後はトップまで上り詰めた。
10年先を考えて、生き残るため、人一倍多くの仕事をこなして
すべて基本を体で身につけていった結果である。

その後、独立して自分の店をやるか迷ったが
丁度、名古屋の錦でオープンした「アロアロ」という店を
シェフとして任された。
オープンして2,3か月で満員の店にした。
今まで身につけてきた料理の延長であり、
どれだけ店が流行っても何かが物足らなかった。
錦という場所柄、毎日酒におぼれ、生活がすさんでいった。
2年がたち、これではいけないと思い、店を辞め、イタリアへ飛んだ。

フィレンツェで半年間、3軒の店で修業をする。
無給のために手持ちのお金も底をつき、
フランスに居た友人を頼ってパリに行く。
その後、半年間2軒のフランス料理店で働く。


今では料理は技術的には日本でも十分学ぶことができるが
現地の人が何を食べ、どんな生活をしているのかは
やはりその土地で生活しなくてはわからない。


今でも若手には「イタリア馬鹿になるな!」と言っている。
クラッシックなイタリア料理を学ぶのは大切であるが
日本でそのまま再現することだけがいいわけではない。
素材的にも鮮度の上でも日本の方が優れている場合も多い。
両方の眼を持って、バランスをいかに取るかである。

帰国して1年くらいはふらふらしていたが、
ようやく八事・表山で自分の店を開くことができた。
Dodici Maggio の誕生である。

安い値段で美味しいイタリア料理を出そうとしたが
3年くらいはお客が全く入らない日が続いた。
しかし徐々に口コミで評判が広がり、
口の肥えた上客に使ってもらえるようになってきた。


お客の方が料理やワインへの造詣が深く、様々な提案をしてもらうことで
自分もチャレンジして、成長することができてきた。
まさに「客が店を育てる」である。
素材の質もどんどん上がっていき、メニュープライスも上昇していった。
知らず知らずのうちに高級店として歩むことになった。

素材にこだわり、クラッシックなイタリアンのようにしっかりと素材に
火を通すのではなく、鮮度のいいものは生で出すものもあった。
当時は似非イタリアンとまがいもの扱いされることもあった。


和の出汁や調味料や調理法を取り入れることが
受け入れられるようになったのは最近のことである。

八事の地で20年間やってきた。
多くの素晴らしいお客に支えられてやってこれた。
この地を代表する世界的な大企業の会長は
2週間おきに、この先1年、予約が入っている。


2週間に1度必ず来ていただけることは大変ありがたいことだが
毎回新しい料理を出し続けるプレッシャーは凄まじいものがある。
しかしこのプレッシャーを跳ね除けチャレンジしてきたことが
自分の成長に確実に繋がってきているのも事実である。

また世の中には実際にはオーナーが別にいても
対外的にはオーナーシェフとして振舞っている人もいる。
自分は自分の資本(身銭)でずっとやってきた。
この違いは大きい気がする。
自分のお金で食材を仕入れ、ワインをストックして、
すべての経費を賄う。
失敗はできない真剣勝負の毎日である。
お皿1枚買うのにも考え抜くこともある。

こういう形態のレストランで儲かる仕組みを作るのは
本当に難しいことである。
ビジネスとして成功したければ、何かを捨てて
収益力に重点を置いたビジネスモデルにすべきであろう!


しかし、オーナーシェフによるレストランとは
お金だけではない価値も手に入る。
それはこの店の価値を、私の料理の価値を、本当に認めてくれて
通い続けてくれる常連のお客である。

シェフの料理とそれを支えていただいているお客も含め、
そのすべてがDodici Maggioなのである。

そしてそんなお客を大切にするため
敢えてお客とはプライベートでは付き合わないようにしている。
スタッフにも事あるごとに言っているが
シェフの真意はなかなか伝わらない。
お客と友達関係になってしまっては
プロとしての線引きがしにくくなる。


シェフはイタリアンの業界にはほとんど友人がいない。
しいて言えば和食の業界の方が友人と呼べる人たちがいる。
今村シェフの中でのこのメンタル的な線引きは結構重要である。

そして若いシェフ達(特にイタリアン)に言いたいのは
礼儀であり挨拶である。
先人を尊ぶ気持ちを忘れて欲しくない。
仕入れに行った市場で市場関係者や同業のシェフに会っても
挨拶もしない若手シェフをよく見かける。

長年食材を提供してくれている業者の人達、
料理の道を切り開いてきてくれた先輩料理人、
店を支え続けてくれているお客・・・・・・
様々な人に支えられて現在のレストラン業界があることを
忘れないでほしい!

シェフは42歳の時に1年間、名古屋の有名な寿司屋の大将にお願いして
毎日早朝から市場に同行して魚の目利きを学ばせてもらった。
自分でもよく続いたと思う。
市場の魚屋はこの大将に仕入れてもらいたいがために
自分がこれはという素材を取り置きして、大将に選んでもらう。


時には自分がいいと思う魚とは違う魚を大将が選ぶことがある。
なぜそっちを選ぶのか?魚屋が大将に教えを請うこともある。
いつも大将自身が素材と向き合い、料理を通して
お客の反応を感じ取ってきたからこそである。
そしてそのことをコツコツと長年積み重ねてきたからこそでもある。


目利きというのは凄いことである。
そのものがブランドである。
そんな目利きが通用している寿司の世界も凄い。
和食も同じであろう。
目利き、下処理、出汁、素材・・・・・
世界に誇れる料理界の日本ブランドである。

Dodici Maggioは2年前に東区泉1丁目に移転した。


今村シェフに今後の展望はと聞くと
「店を大きくしたり、数を増やしたりすることに興味はない、
この店で長く料理をすること、
いつも現場に居ること、
そしていつも新しいお客と出会うこと。」
とキッパリ言いきる。

名古屋の地で、イタリアンの先駆けとして
長年、お客に感動を伝え続け、
次代を担う若手のシェフも多く輩出してきた、
今村シェフの言葉は重い。


シェフが創り出す料理の世界にこれからも目が離せない。


一流と言う言葉が似合う人である。

取材  名倉裕一朗 2012.07.11.

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