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「シェフ達のヒーローズ・ジャーニー

天婦羅 くすのき 店主 楠 忠師 氏 



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家業は家族経営の呉服屋。
父と母で切り盛りしていた。
母が食事の支度をしていてもお客が来れば調理は中断。
性格的に待っていられなかった自分は調理を引き継ぎ完成させるようになった。
こんな日常から料理に興味を持ち始めた。

高校進学は自然の流れで調理師を目指すことに。
地元の岐阜には調理科のある高校があり、
飲食店で働きながら学校に通う里親制度があった。

岐阜の柳ケ瀬の割烹店で働くこととなる。
親方が外出から帰った時のコートのかけ方、鞄の置き方など
マナーから徹底的に仕込まれた。
親方からは師弟関係の心得として
お前はオレに「金を使うな、気を使え。」
オレはお前に「気を使わない、その代わり金を使う。」
このことはお客様との立場関係にも生きている。

卒業後、名古屋・覚王山の料亭で働くが1年で廃業。
中区の翠芳園に移る。
調理場の料理長は、大阪の名店で活躍された関西料理界重鎮。
その方の下で技術をと、本物を志す者ばかり。
修行は厳しく、8畳一間に2段ベットが3ケの完全寮生活。
通いは許されず、休みも店の用事やらで、有るようで無い。
上下関係も厳しく、給料も安い・・・
がしかし、料理の奥の深さ、器や盛り付けなどに魅せられ3年半お世話になった。
そして何より料理人として、プロとしての心構えをしっかり学んだ。

その後は住吉町にあった料亭・灘に移る。
4年で煮方を任されるようになる。
そこで店の一角にあった天婦羅・灘の主任をやってみないかと誘われる。
丁度、料理の幅を広げたいと思っていた時期で願ってもない申し出だった。
しかし、これが自分の料理人人生を大きく変える転機となるとは・・・

天婦羅・灘は東京・赤坂の老舗・花むらの暖簾分けであった。
先ずは東京の本店に研修へ。
ここでの体験は驚愕であった。
東京の築地のとある魚屋では寿司屋より天婦羅屋の方が格が上だった。
最上の素材は優先的に一流と言われる天婦羅屋へ流れた。
ピンの天婦羅の価値を見せつけられた。

揚げ油は当時一般的な飲食店で
一缶3000円~4000円位が普通であった時代に
この店の油は一缶2万円程。
エクストラバージン胡麻油である。
タネには最上級の魚介と質の良い野菜を使う。

一般的に飲食店では「生でも食べれる活きのいい魚介です。」とよく言う。
生で食べないと勿体無いと言わんばかりである。
しかし、実は生で食べるより一流の腕で揚げた天婦羅の方が数倍旨い。
素材のうま味を最大限に引き出す調理法が天婦羅であると・・・
天婦羅職人は生で食べるのが勿体無いと言う。

今までの日本料理の概念が一瞬で消えた。
自分の店を持つため、カウンターでの仕事のこなしを学ぼうと引き受けた天婦羅・灘の
主任の仕事であったが、東京研修を機に天婦羅の世界にズッポリとはまってしまった。

いよいよ独立の準備である。
先ずは東京へ行き、天一をはじめとする一流店を食べ歩いた。
さらに以前から疑問に思っていたことを確かめに国立図書館へ足を運んだ。
「江戸前天婦羅は、なぜ江戸で生まれたのか?」

天婦羅の起源はポルトガルのテンペーロ。
長崎で魚の練り物を油で揚げたのをポルトガル人が見てテンペーロ(揚げ物)と呼んだ。
江戸は練り物文化はなかった。
しかし水路が発達していて鮮度の良い魚介が揚がった。
江戸には当時、魚河岸が数十箇所もあった。
そこで生まれたのが江戸前天婦羅である。

では現代の名古屋・愛知はどうか?
木曽三川が山々から湧き出た養分たっぷりの水を伊勢湾に運び
鮮度の良い極上の海の幸を育む。
「やまとはまぐり」は全国の80~90%が伊勢湾産と言う。
三河湾も環境が素晴らしい。
まさしく海が肥えている。

食材には水分が含まれている。
そこにうま味も含まれる。
どんな衣を纏わせ、どの温度で、どの位揚げればうま味が最大限に引き出せるのか?
試行錯誤を繰り返し、まさに研究室の実験のごとく作業を繰り返し
一つ一つ確立させてきた。
科学そのものであり、客にすればマジックでもある。

天婦羅にマニュアルはない、
毎日市場へ出向き、素材を見て考える。
弟子に教えるのも簡単ではない。
時間がかかる。
できれば修行時代に最高の素材を使って
最高に失敗をして覚えるのがいい。
自分の店になってからはなかなかできないものである(笑)

「天婦羅くすのき」では
通常では天婦羅店が敬遠する「雲丹」や、季節によっては「白子」、「牡蠣」を必ず扱う。
揚げを失敗すれば油が台無しになるリスキーな素材である。
しかし今ではこれが店の人気者になっている。

「牡蠣」はフライより天婦羅が格段にうまいと思う。
水分とともに磯臭さも抜け、うま味が凝縮する。
衣の違いである。

夢は料理人として人間国宝になること。
国の招聘で海外へ天婦羅を揚げに行く。
これを真剣に目指している。
夢を話す顔と言葉から並々ならぬ情熱がほとばしり出る。
並みの料理人ではない。

最近では、京都、東京、アジア各地から
「くすのき」の天婦羅をわざわざ名古屋まで食べに来てくれる。
愉快ではないか!!
大きな可能性を感じさせられる。

今後は「箸も満足に持てない人はお断り」と真剣に考えている。
「うまいものが食いたければ名古屋に来い!」
乱暴だか奥の深い一言である。

年内には東区代官町に移転の予定である。
さらに進化した「天婦羅くすのき」開店が待ち遠しい。

                                      取材  名倉裕一朗 2013.3.19.

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