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シェフ達のヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)

La Barca オーナーシェフ 飛矢和行氏 



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実家は40年以上営む喫茶店。
小さい頃から飲食の環境で育ってきた。
若い頃は、父親に反発して、違う道を歩もうとしていた。

学生時代、父親が行くはずだった飲食店経営者のイタリアツアーに急遽、代理で参加。
イタリアを体験する。

今までは、腹が減ったからレストランで食事をする。
食欲を満たすことが目的だと思い込んでいた。

でもイタリアは違っていた。
皆がゆっくりと、長く、楽しんで、語り合いながら食事をしていた。
ある意味衝撃的であった。

そして、帰国後、当時、名古屋のイタリアンの草分け「クアトロ ピステ」の坂口シェフにお願いして弟子入り、6年間働きました。
山田宏巳初代料理長の原宿・伝説のイタリアン「バスタ・パスタ」を経て、イタリアへの思いはますます募る。

そんな時、名古屋の名鉄グランドホテルでロンバルディア州の催事があり、お手伝いしたことがご縁で26歳でイタリア行きが決定する。

イタリアは有力なレストラン同士の横のネットワークが強く、紹介をもらいながら、
ロンバルディア州のミラノをスタートにトスカーナ州、ピエモンテ州・・・・
LE SOSTE(いわゆるレストラン協会)の加盟店を回る。

イル・グリーゾ、ラ・コンテア、カステッロ・ディ・サンジョルジョ、ドン・アルフォンソ・・・
そうそうたる顔ぶれである。

特にドン・アルフォンソは三つ星でありながら、スローフードを地で行くレストランで、自家栽培の野菜やオリーブを使い、シンプルで本当に美味しい料理を出していた。

3年半のイタリアで最後に残ったのが、シチリアであった。
イタリア本土と違い、一種の独立国の様相があり、どの店からも紹介が出なかった。
飛矢シェフは持ち前のチャレンジ精神でいきなり目当ての店にオファーを出し、なんと採用されてしまうのである。
彼の持つ根っからのポジティブさが突破口を開いたのであろう。

しかしその前に一旦帰国することに。
名古屋で有名なハーブス、アルアビスの社長が才能あるイタリアンシェフを探しており、
わざわざイタリアまで飛矢シェフに会いに来たのである。
名古屋の店の状況を見てほしいとのこと。
トラットリア・アルアビスをはじめ、ハーブス全体の統括料理長への就任の話である。

半年だけシチリアで働くことを条件に就任を受諾した。
帰国後、3年間、統括料理長として腕をふるう。

そして、念願の独立。
La Barca をオープンさせ、10年が過ぎた。
http://r.tabelog.com/aichi/A2301/A230103/23002816/
オーナーシェフとして毎日店に立ちながら多くの客を魅了し、テレビ出演、料理教室の講師、飲食店プロジェクトの企画などにも精力的に活動を続けている。

取材  名倉裕一朗  2012.01.13.

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